INTRODUCTION

2021年7月7日、85歳でこの世を去ったロバート・ダウニー。
息子でありハリウッドを代表するスター俳優であるダウニー・Jr.はインスタグラムに父親について投稿し、「昨夜、パーキンソン病に何年も耐えた後、父親は安らかに眠りについた…彼はアメリカ映画界における偉大なる真の異端児だった。」と記した。
カウンターカルチャー時代の風雲児であり、アンダーグランド映画の助産師という異名を持ち、晩年はロバート・ダウニー・Jr.の父親として知られたダウニーの代表作が50年余りの時を経て日本初公開される!

本作品が全米映画ファンの間で新たに注目を浴びるきっかけとなったのは、2016年に ナショナル・フィルム・レジストリに選出され、その後マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファンデーションとアカデミーフィルムアーカイブによって2019年にデジタル復元がなされたことである。この復元においては、アメリカの優れた映画を後世に残すことを目的として設立されたジョージ・ルーカス・ファミリー・ファンデーションも資金提供をしている。

1960年代のニューヨーク。マディソン・アベニューにある名門広告会社の創業者が突然亡くなり、会社の唯一の黒人役員(といっても楽曲担当)であるパトニー・スウォープが予想外の結果によって新社長に選出される。早速、スウォープは会社の名前をTruth and Soulに変更し、ほぼすべての白人役員を解雇してしまう。破壊的で奇抜で斬新だが悪趣味ともいえる過激な広告キャンペーンは次々とヒット商品を生み出し、会社は新たな成功へと飛躍する中、何とスウォープは国家安全保障への脅威であるとして、アメリカ大統領ミミオの陰謀に巻き込まれることになる…

本作品は意外なことに興行的な成功を収めることとなった。ロバート・ダウニー監督は後のインタビューで当時を振り返り、ヒットをもたらした要因は二つあり、一つは当時ニューヨークで映画館チェーンを経営していたロバート・ルゴフがこの作品を配給してくれたこと。もう一つはジェーン・フォンダがテレビのトーク番組で絶対に見るべき映画と発言してくれたことだと語っている。

また1990年代に入って「ブギーナイツ」「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン監督は本作品を最も影響を受けた作品の一つに挙げ、自身の作品にロバート・ダウニーを役者として起用してファンとしての敬意を表した。

ロバート・ダウニーは本作で監督とともに製作と脚本を手掛けている。アソシエイト・プロデューサーを務めたのは、後にアンリ・パチャードという名で、ポルノ映画界で大成功を納めるロナルド・サリバン。撮影は2005年にアカデミー技術功労賞を受賞したジェラルド・コッツ。編集は1974年「エクソシスト」、1984年「フラッシュダンス」で二度アカデミー賞にノミネートされたバド・S・スミス。音楽はダウニー監督の次作『Pound』(未公開)でもタッグを組むチャーリー・クーバによるオリジナル楽曲。タイトル・デザインを全米屈指の広告デザイン・チーム、チャマイエフ&ガイスマーが手掛けたことも大きな注目に値する。NBCネットワーク、パンナム、モービル石油など彼らが手がけた百を超える企業ロゴデザインは誰もが一度は目にしたことがあるはず。本作品は、彼らが携わった唯一の映画作品であり、そのシンプルながら大胆なデザインは、大物クリエイターたちがダウニーの時代の先を行く感性に共鳴したであろうことを想像させて余りある。また、本作は白黒作品だが、映画の見どころの一つである数々のユニークなテレビ・コマーシャルはカラー映像となっていて時代の雰囲気が鮮明に伝わってくる。

主人公のパトニー・スウォープを演じるのは本作が映画デビューとなるアーノルド・ジョンソン。ただし声はダウニー自身によって吹き替えられた。アーノルド・ジョンソンはその後「黒いジャガー」(71)「ポケットいっぱいの涙」(93)などに出演している。パトニーの妻役に1968年「愛は心に深く」(シドニー・ポワチエ主演)で映画デビューしたローラ・グリーン。パトニーのボディガード役にダウニー監督作品に多く出演し、ブライアン・デ・パルマ監督作品「ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン BLUE MANHATTAN I・哀愁の摩天楼」(70)にも出演したバディ・バトラー。アラブ人役のアントニオ・ファーガスは、その後テレビシリーズ「スタスキー&ハッチ」で一躍有名に。今までの出演作は130本を超えており、現在も活躍中である。メイド役にはエルジビエタ・チゼウスカが扮している。彼女は60年代ポーランドの若手人気女優だったが、65年当時ニューヨーク・タイムズ紙の特派員だったデイヴィッド・ハルバースタムと結婚し夫とともにアメリカへ。本作が最初のアメリカ映画出演作である。傑作の呼び声が高いサリー・カークランド主演のアメリカ映画「アンナ」(87)は彼女をモデルにしたとされる。劇中のCMシーンに出演するカップル役には、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』で共演したロニー・ダイソンとシェリー・プリンプトン。ロニー・ダイソンはワシントンD.C出身のソウル、R&Bシンガー。『ヘアー』では名曲アクエリアスを披露。1970年にレコードデビューするやBillboard Hot 100 シングルチャートでトップ10入りを果たす。シェリー・プリンプトンは本作が映画デビュー作品。アーサー・ペン監督「アリスのレストラン」(69)ジム・マクブライド監督『Glen and Randa』(71・未)などに出演している。娘は女優のマーサ・プリンプトン。メル・ブルックスがカメオ出演しているのもご愛嬌である。

1969年の全米公開時にはポスターが刺激的すぎるとして、各地の映画館で掲載拒否運動が起こったというエピソードがある。それに代弁されるように「パトニー・スウォープ」は独自の過激なユーモアで世の中のあらゆる欺瞞を風刺する時代の先駆者そのものの映画であった。BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動などが声高に叫ばれる現代にその先見性をどのように見るか、2022年の今、まさにタイムリーな作品である。

INTRODUCTION

2021年7月7日、85歳でこの世を去ったロバート・ダウニー。
息子でありハリウッドを代表するスター俳優であるダウニー・Jr.はインスタグラムに父親について投稿し、「昨夜、パーキンソン病に何年も耐えた後、父親は安らかに眠りについた…彼はアメリカ映画界における偉大なる真の異端児だった。」と記した。
カウンターカルチャー時代の風雲児であり、アンダーグランド映画の助産師という異名を持ち、晩年はロバート・ダウニー・Jr.の父親として知られたダウニーの代表作が50年余りの時を経て日本初公開される!

本作品が全米映画ファンの間で新たに注目を浴びるきっかけとなったのは、2016年に ナショナル・フィルム・レジストリに選出され、その後マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファンデーションとアカデミーフィルムアーカイブによって2019年にデジタル復元がなされたことである。この復元においては、アメリカの優れた映画を後世に残すことを目的として設立されたジョージ・ルーカス・ファミリー・ファンデーションも資金提供をしている。

1960年代のニューヨーク。マディソン・アベニューにある名門広告会社の創業者が突然亡くなり、会社の唯一の黒人役員(といっても楽曲担当)であるパトニー・スウォープが予想外の結果によって新社長に選出される。早速、スウォープは会社の名前をTruth and Soulに変更し、ほぼすべての白人役員を解雇してしまう。破壊的で奇抜で斬新だが悪趣味ともいえる過激な広告キャンペーンは次々とヒット商品を生み出し、会社は新たな成功へと飛躍する中、何とスウォープは国家安全保障への脅威であるとして、アメリカ大統領ミミオの陰謀に巻き込まれることになる…

本作品は意外なことに興行的な成功を収めることとなった。ロバート・ダウニー監督は後のインタビューで当時を振り返り、ヒットをもたらした要因は二つあり、一つは当時ニューヨークで映画館チェーンを経営していたロバート・ルゴフがこの作品を配給してくれたこと。もう一つはジェーン・フォンダがテレビのトーク番組で絶対に見るべき映画と発言してくれたことだと語っている。

また1990年代に入って「ブギーナイツ」「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン監督は本作品を最も影響を受けた作品の一つに挙げ、自身の作品にロバート・ダウニーを役者として起用してファンとしての敬意を表した。

ロバート・ダウニーは本作で監督とともに製作と脚本を手掛けている。アソシエイト・プロデューサーを務めたのは、後にアンリ・パチャードという名で、ポルノ映画界で大成功を納めるロナルド・サリバン。撮影は2005年にアカデミー技術功労賞を受賞したジェラルド・コッツ。編集は1974年「エクソシスト」、1984年「フラッシュダンス」で二度アカデミー賞にノミネートされたバド・S・スミス。音楽はダウニー監督の次作『Pound』(未公開)でもタッグを組むチャーリー・クーバによるオリジナル楽曲。タイトル・デザインを全米屈指の広告デザイン・チーム、チャマイエフ&ガイスマーが手掛けたことも大きな注目に値する。NBCネットワーク、パンナム、モービル石油など彼らが手がけた百を超える企業ロゴデザインは誰もが一度は目にしたことがあるはず。本作品は、彼らが携わった唯一の映画作品であり、そのシンプルながら大胆なデザインは、大物クリエイターたちがダウニーの時代の先を行く感性に共鳴したであろうことを想像させて余りある。また、本作は白黒作品だが、映画の見どころの一つである数々のユニークなテレビ・コマーシャルはカラー映像となっていて時代の雰囲気が鮮明に伝わってくる。

主人公のパトニー・スウォープを演じるのは本作が映画デビューとなるアーノルド・ジョンソン。ただし声はダウニー自身によって吹き替えられた。アーノルド・ジョンソンはその後「黒いジャガー」(71)「ポケットいっぱいの涙」(93)などに出演している。パトニーの妻役に1968年「愛は心に深く」(シドニー・ポワチエ主演)で映画デビューしたローラ・グリーン。パトニーのボディガード役にダウニー監督作品に多く出演し、ブライアン・デ・パルマ監督作品「ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン BLUE MANHATTAN I・哀愁の摩天楼」(70)にも出演したバディ・バトラー。アラブ人役のアントニオ・ファーガスは、その後テレビシリーズ「スタスキー&ハッチ」で一躍有名に。今までの出演作は130本を超えており、現在も活躍中である。メイド役にはエルジビエタ・チゼウスカが扮している。彼女は60年代ポーランドの若手人気女優だったが、65年当時ニューヨーク・タイムズ紙の特派員だったデイヴィッド・ハルバースタムと結婚し夫とともにアメリカへ。本作が最初のアメリカ映画出演作である。傑作の呼び声が高いサリー・カークランド主演のアメリカ映画「アンナ」(87)は彼女をモデルにしたとされる。劇中のCMシーンに出演するカップル役には、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』で共演したロニー・ダイソンとシェリー・プリンプトン。ロニー・ダイソンはワシントンD.C出身のソウル、R&Bシンガー。『ヘアー』では名曲アクエリアスを披露。1970年にレコードデビューするやBillboard Hot 100 シングルチャートでトップ10入りを果たす。シェリー・プリンプトンは本作が映画デビュー作品。アーサー・ペン監督「アリスのレストラン」(69)ジム・マクブライド監督『Glen and Randa』(71・未)などに出演している。娘は女優のマーサ・プリンプトン。メル・ブルックスがカメオ出演しているのもご愛嬌である。

1969年の全米公開時にはポスターが刺激的すぎるとして、各地の映画館で掲載拒否運動が起こったというエピソードがある。それに代弁されるように「パトニー・スウォープ」は独自の過激なユーモアで世の中のあらゆる欺瞞を風刺する時代の先駆者そのものの映画であった。BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動などが声高に叫ばれる現代にその先見性をどのように見るか、2022年の今、まさにタイムリーな作品である。

STORY

マディソン・アベニューの広告代理店の最高経営責任者であるエリアス(デビッド・カーク)が、取締役会の途中で亡くなり、取締役会のメンバーは会社の定款によって新しい社長を選出することを余儀なくされる。自分自身に投票することができないというルールがある中で、取締役会の面々は誰も選ばないだろうと、取締役で唯一の黒人男性であるパトニー・スウォープ(アーノルド・ジョンソン)に票を投じてしまう。 スウォープは皮肉なことに社長に選ばれ、「会社を変えるつもりはない、変えるくらいならぶっ壊す。」と言い放ち、取締役会のほぼ全員を解雇し、黒人ばかり(ただ一人の白人を除いて)に取締役を置き換えて、会社の名前をTruth&Soulに変更してしまう。

Truth&Soulは、次の三のルールを契約の原則としていた。
1.酒、タバコ、戦争玩具の宣伝はしない。
2.社長と話をしたい者は誰でも電話ではなく直接会って話さなければならない。
3.Truth&Soulへの報酬は一律100万ドルの現金前払いとする。(ただし売り上げが50%アップしなければ返金する。)
無謀ともいえる新しいルールだがクライアントたちは飛びついた。広告商品は次々と大ヒット、ビジネスは軌道に乗って行く。

そんな会社の成功は小人症のミミオ大統領(ペピー・ヘルミーネ)の耳にも届くほどだった。ミミオ大統領は、レイシストでずる賢いアドバイザー(ローレンス・ウルフ)の会社が作った車「ボーマンシックス」の広告を何とかパトニーにやらせようとする。相手にしないパトニーだったが、大統領も諦めない。結局ボーマンシックスの広告を引き受けることに。側にいた恋人にアイデアを考えさせるが、逆に結婚を迫られる始末。躊躇うことなくパトニーは結婚し、アイデアを手に入れる。しかし、「ボーマンシックス」の広告はあまりに過激すぎたため、ミミオ大統領の怒りをかってしまう。相変わらず奇想天外なCMは次々と量産されていたが、おおっぴらに不満をぶちまける社員も現れ始めた。

パトニーは、ミミオ大統領に呼び出され、酒、タバコ、戦争玩具のCMを拒否するのは国家安全保障上の脅威だと脅される。結局パトニーは大統領の圧力に屈しているような振る舞いを見せ、今まで作らなかったCMを準備するようにスタッフに命ずる。方針に反すると反発する役員たちを横目にパトニーは意外な行動に出るのだった…

STAFF

Robert Downey
作製・監督・脚本
ロバート・ダウニー

ロバート・ジョン・エリアス・ジュニアは1936年6月24日に、マンハッタンでハンガリー系ユダヤ人の父親とアイルランド系の母親のもとに生まれ、ロングアイランドで育つ。その後、両親は離婚。彼は16歳で高校を中退し継父の姓を名乗って陸軍に入隊する。創作意欲が旺盛だったロバート・ダウニーは陸軍では多くの時間を小説を書くために費やしていたが、出来上がったものが出版されることはなかった。除隊後は小説とは真逆な世界であるセミプロ野球に挑戦するが断念。その後、戯曲を書き始める。

オフ・オフ・ブロードウェイで出会った仲間から映画制作を勧められたことをきっかけに映画の世界に入り、1964年に『Babo73』(未)で監督デビュー。多くのアンディ・ウォーホル映画で知られる個性派俳優テイラー・ミードがジョン・F・ケネディがモデルと思われる大統領を演じた。続いて監督した1966年の『Chafed Elbows』(未)はニューヨーク・タイムズ紙の映画評論家から高評価を得る。この映画はニューヨークのアート系映画館でロングランヒットとなった。1968年『No More Excuses』(未)、1969年の本作品を経て、1970年にはロバート・ダウニー・Jrの映画デビュー作でもある『Pound』(未)、1972年『Greaser’s Palace』(未)と次々と作品を輩出していった。70年代初頭にはニューヨーク・パブリック・シアターのプロジェクトに取り組み、1973年にCBSでデヴィッド・ラーベの演劇『Sticks and Bones』をライブ演出する。その後再び実験的なコメディ映画製作に戻り1975年『Two Tons of Turquoise to Taos Tonight』 (未)を発表。

80年代に入ると1980年『Up the Academy』(未)、その後テレビシリーズ「トワイライトゾーン」でいくつかのエピソードを監督、1985年に「ぷっつん放送局92」(ビデオ)、1987年「ハリウッド行進曲/私をスタジオに連れてって 」(ビデオ)、その後も1990年ロバート・ダウニー・Jr主演『Too Much Sun』(未)、1997年アリッサ・ミラノ主演による「ヒューゴ・プール」(日本での初劇場公開作品)を手掛けた。最後の作品は2005年『Rittenhouse Square』(未)。フィラデルフィアにある公園リッテンハウス・スクエアを舞台にしたドキュメンタリーで、製作は「時計じかけのオレンジ」(71)で製作総指揮を務めたマックス・L・ラーブである。

ロバート・ダウニーは暫し俳優としても活躍した。「L.A.大捜査線/狼たちの街」(85)、「 ジョニー・ビー・グッド 」(88、ビデオ)、「ブギーナイツ」(97)、「マグノリア」(99)、「ペントハウス」(11)などに出演している。